東京高等裁判所 昭和49年(ツ)92号 判決 1976年3月30日
上告人・引受参加人
梅沢文雄
右訴訟代理人
滝沢国雄
上告人・被引受人
島田美津江
被上告人
千代田商事株式会社
右代表者
渋谷仁一
右訴訟代理人
立野輝二
主文
原判決を破棄する。
本件を東京地方裁判所に差戻す。
理由
上告人訴訟代理人は、主文同旨の裁判を求め、上告理由を別紙のとおり述べ、被上告人千代田商事株式会社(以下千代田商事という)訴訟代理人は、上告棄却の判決を求めた。
上告理由第一点について
上告人は、原判決には、証人小川二郎、同小川喜美子の証言を採用すべきであるのにこれを排斥し、真実性に乏しい証人平田タケ、同内村勇雄の証言を採用した点で採証法則に反し判決の結論に影響を及ぼすべき法令違反が存在するから原判決を破棄すべきであると主張する。
当事者の立証に供した証拠に相反する証拠がありその一を採用し他を排斥するのは基本的には事実審裁判官の自由な判断にまかされているものではあるが、もとより恣意を許すものではなく、それが証拠の全体を通じてみた場合その一を採用しても他の有力な証拠と矛盾せず合理的に事実関係を理解できることが必要であることはいうまでもない。本件において、原判決は、被上告人千代田商事株式会社主張の請求の当否を判断する前提として被上告会社所有の東京都港区赤坂七丁目三四八番(旧表示同区赤坂台町三〇番一原判決のいう甲地、以下甲地という)とこれに接する引受前の上告人島田美津江の所有であつた同所三八三番(旧三〇番六、原判決のいう乙地、以下乙地という)宅地との境界を認定するにあたり、現地には、原判決添付図面LJ(以下原判決添付図面表示の各点を各表示の記号L、Jなどで略称する)に沿いその一部に基礎コンクリートが存在し、その上に何本かのボルトがあることに重点をおき、これとその挙示の証拠によつて境界を判断しているのであるが、右基礎コンクリートが造成された経緯に関して挙示の証拠中証人平田タケ、同内村勇雄のいうところは平田武(以下平田という)が昭和二八年六月二九日旧所有者小川二郎(以下小川という)から甲地を買受けた際乙地との境界はLJ線であると指示されたその線までの引渡を受け、昭和三〇年末か昭和三一年初ころLJ線に沿う一部に、コンクリート塀築造のための基礎コンクリートを築造したというのである。これに対し、証人小川二郎同小川喜美子の証言は「小川が昭和二八年六月二九日平田に甲地を売渡す際小川はこれと乙地との境界を示す地点としてK点を定め、ここにコンクリート製角柱を埋設して境界標石とし、K、J、I(原判決添付図面にはないが乙地南東隅)線を両地の境界と定め、その線までを甲地として引渡した。」というのであつて、原審はこれら小川両名の各証言は信用できないとしてこれを排斥したものである。しかし、原判決の右採証の結果は、公図(甲第一〇号証の一、二、及び、その基本となつた乙第一号証の分筆登記申請書添付図面ことに縮尺三〇〇分の一のもの)、及びK点の境界標石と、次のような点で矛盾を生じ、それは結論に影響を及ぼすものである。すなわち、
まず、公図の記載では、甲地、乙地とこれらに北接する私道(旧三一番の二、このうち東南部分約三坪余が旧三一番の四として分筆され平田に譲渡されたのちの三八五番である)との境界は一直線であるが、甲乙両地の境界が原審認定のとおりとすると右私道との境界は、C(墓地の角)LK線という鍵の手状を呈することとなり、公図の記載に反する。この点につき、原判決は、K、L点は公図上別異の地点に表示されるとは限らないというが、公図の基礎となつた分筆登記申請書添付図面(縮尺三〇〇分の一)でもその部分は一直線に表示されており、もしその境界がCLK線のように曲つているものとした場合、KL間の実際の距離は四五センチメートル(原判決認定)であるから同縮尺では1.5ミリメートルとなり、この程度に達すればK、L各点は図面上別異の地点として表示されるのが通常であり、右原判決の公図の解釈は合理的ではなく、前記採証は右公図と矛盾があることになる。
次に、K点に存在する境界標石について、原判決は、「小川が昭和三一年一二月末か昭和三二年初ころ内村勇雄の求めにより、東京都港区赤坂七丁目三八六番(旧表示同区赤坂台町三一番二)宅地61.09平方メートル(私道。以下旧三一番二私道という)とこれに南接する宅地(旧三〇番の二ないし六)との境界線上で、乙地すなわち旧三〇番六宅地北西隅から東方に2.72メートル(九尺)の地点に境界標石を埋めたが、その点がK点であり、その結果、本件乙地が旧三一番二私道と接する幅員は2.72メートルとなつた。」と認定する。右判示によると、K点は結局、乙地と旧三一番二私道との境界線上にあることは明らかである。しかして附近土地を自ら所有者として分筆した小川二郎は右私道敷の南西側境界は北西方公道の角から東南側墓地の角を見とおす線としたものであつて、右の如くにしてとつたK点は甲地及びこれに接続して平田の所有となつた旧三一番四(のちの三八五番)の土地、乙地並びに私道敷旧三一番二(のちの三八六番)の四地の接点であるとしているのであつて、それ故にこそK点の存在はきわめて重要な意味をもつものと解すべきである。原審の認定どおりとすればK点のほかにL点にもコンクリート土台の北端というだけでなく、さらに境界石がなければならないこととなり、K点の意義が半減することとなる。
もつとも、原判決のいうようにコンクリート基礎の存在は両地の境界の判断上見落すことのできない資料の一つであるが、その所在位置はLJ線の全部に沿つてあるわけではなく極く小部分にあるだけであり、塀として完成されず放置された理由も必らずしも明らかではなく、小川が平田に対しその築造位置が境界を越えている旨異議を述べたことが窺知され、平田の妻はコンクリート基礎の自分側に生垣を植えたと述べていることなどからすれば右コンクリート基礎の線をもつて境界であるとすることには、相当の疑問があるといわざるをえない。
このように、右コンクリート基礎の線が境界であるとする証人平田タケ、同内村勇雄の各証言部分を採用することは他の重要な証拠と矛盾し不合理な事実認定となることが明らかである。これに対し、証人小川二郎、同小川喜美子の各証言は、旧所有者側の自ら土地を分筆し、境界線を設定し、所要の個所に境界標石を埋設し、平田から四人を経て被上告会社が甲地を取得するまで引続き乙地を所有占有していた側が自ら経験した事実に関してしたもので、特段の事情のない本件では、他の誰よりもその真実性が期待されるものということができ、前記各証拠との比較検討においても矛盾がなく肯認されるのであるから、同証人らの各証言を尊重するのが経験則に合致する。したがつて、原判決が首肯すべき十分な事情もなく同証人らの各証言を排斥し、証人平田タケ、同内村勇雄の前記各証言を採用したのは採証法則に反し、判決の結論に影響を及ぼすべき法令違反があるというのを妨げず、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
同第二点について
上告人は、J点のほか乙地と甲地との境界線上のI線(乙地南東隅)にもK点と同様の境界標石が存在するのにその点につき原審が審理判断しなかつた審理不尽の違法があり、原判決は破棄差戻されるべきであると主張する。
原審がKJ線が境界でK点に標識杭を埋設したというならばJ点にもそれがあるのが自然であるのに、J点に標識杭があることの証拠はないとして、KJ線が境界であるとする主張を排斥していることは判断自体に明らかである。およそ、境界の認定が前提問題である事件において、一方が主張する境界上の一端に境界標石があるにもかかわらず、右境界標石が境界の一端であるならば、他の一端にも同様のものがあるはずであるとするのはよしとしても、裁判所がそのような疑問をもつならば当然その当事者に対しその旨を釈明し、立証を促すべきであるのに、そのことをせずして境界と主張する線の他の一端に境界標識があるとの証拠がないとしてこの当事者に不利益の判断をするのは失当である。他の一端にも境界標識が存することが証明されたならば、反対の事情のない限り当然この点の評価は変るはずである、しかるに原審がこの点についてなんらかの釈明をし、立証を促す等をした形跡は記録上認めることはできず、その点の審理をしていないことは明らかである。従つて原審は判決の結論に影響を及ぼすべき審理不尽があり、ひいて理由不備に陥つているものというべく、原判決はこの点においても破棄を免れず、論旨は理由がある。
よつて、その余の上告理由に対する判断を省略し、さらに審理を尽させるため本件を原審に差戻すべく、民訴法四〇七条にしたがい主文のとおり判決する。
(浅沼武 蕪山厳 高木積夫)
上告理由<省略>